2024年12月に現役を引退した、競輪選手の神山雄一郎さん。
2025年1月には、競輪選手養成所の所長に就任することが発表されました。
今回は、競輪界のトップグループで戦い続けてきたレジェンド神山雄一郎さんの家族について調査しました。
同じく競輪選手として活躍している従兄弟2人も含めた家族のエピソードも紹介していますので、ぜひ最後までご覧くださいね。
神山雄一郎の家族構成まとめ
母親
神山雄一郎さん
妻
父方の従兄弟・・・神山 拓弥さん(競輪選手)
母方の従兄弟・・・大橋徹さん(競輪選手)
神山雄一郎さんが幼少期のころ、実家は自転車店を営んでいたようです。
そのため、気が付いたら自転車に乗っていたとのこと。
さらに、親戚にお二人も競輪選手がいることには驚きですね。
ご兄弟やお子様についての情報は見つかりませんでした。
そして、現在の奥様とは再婚のようです。
次の項目ではご家族とのエピソードを紹介します。
神山雄一郎の家族とのエピソード5つ
引用:日刊スポーツ
神山雄一郎さんのご家族とのエピソードをまとめました。
①父親とのエピソード
神山雄一郎さんは、幼い頃からとても活発で、体育の時間が何よりも楽しみでした。
野球、陸上、サッカー、水泳、剣道など、様々なスポーツに挑戦し、どのスポーツも器用にこなしていたとのこと。
スポーツの才能に恵まれていた神山さんは、競技スポーツの中から競輪を選びました。
この決断は、父親の言葉が大きく影響したようです。
父親も多くのスポーツを楽しんでいましたが、どれも中途半端に終わってしまいます。
その経験から、息子には「一つに絞れ」とアドバイスをしました。
この言葉がきっかけとなり、競輪選手としての道を歩み始めたのです。
また、幼少期のころからお父様と2人で自電車でよく遠出をしていたと話しています
そのため、運動神経と脚力は同年代の子たちとは比にならないレベルで成長したとのこと。

お父様がサイクリング愛好家だった影響が大きかったのですね。
②母親とのエピソード
1989年5月の記念競輪(別府)を初制覇した時、競輪記者の方がお母様に電話した時のエピソードがこちら。
それを祝ってレース終了後、自宅の電話番号を聞いて電話した。すると母親が出て下さり、嬉しさのあまり泣き出すような声で「ありがとう。びっくりしましたが、雄一郎は2番の黒い自転車に乗っていましたの?」と言い、「あの子は黒色が好きなのでお聞きしたのですが、ファンの皆様にもよろしくお伝えください」と言われたのを今でもはっきり覚えている。
引用:KEIRIN.JP
競輪選手としての神山さんの活躍は、お母様にとっても誇りであり、支えになっていることが伝わってくるエピソードですね。
③父方の従兄弟である神山拓弥さんとのエピソード
引用:¥JOY×スポーツ
神山雄一郎さんとは、父親同士が兄弟になるため従兄弟になります。
神山拓弥さんからすると神山雄一郎さんは、作新学院高等学校の先輩でもあり師匠でもあるのです。
神山雄一郎さんの引退時には、以下のようなコメントをしていました。
雄一郎さんは師匠だけど、厳しいという感じではなかった。いつも自分で考えろという感じで、聞いたことには答えてくれる、教えてくれる。S級に上がった時、『今まで通りに戦えば通用するから』と。実際に初戦の立川記念は決勝進出できた。自信になりました。すごい人だが、プレッシャーを感じさせない。 引用:日刊スポーツ
神山雄一郎さんは、自分で考える力を育てることに重点を置いて指導されていたんですね。
競輪界のレジェンドでありながら、プレッシャーを感じさせないという点もまた、彼の魅力の一つと言えますね。
④母方の従兄弟である大橋徹さんとのエピソード
引用:¥JOY×スポーツ
神山雄一郎さんとは、母親同士が姉妹になるため従兄弟になります。
従兄弟というだけあって、どことなく神山雄一郎さんと似ていますね!
大橋徹さんは、神山雄一郎さんについて以下のように語っていました。
今でも神山さんとは時たま一緒に練習をやる事もある。小さい時から遊んでいたし、普段は神山さんと呼んでいるけど、2人の時は雄君。拓弥と雄一郎さんは父親同士が兄弟。同じ従兄弟だけど、”神山姓”のブランドで選手をやっていたら比べられるし大変だった(笑)。神山さんは自転車少年が選手になった感じだし、子供で言う”オモチャ”が自転車なんでしょうね。本当、楽しそうに走っています 引用:netkeirin
年齢が近いこともあり、幼少期のころから仲がよかったようですね。
「自転車少年が選手になった感じ」と「オモチャが自転車」という表現から、神山さんの競輪に対する純粋な楽しさや熱意が伝わってきますね。
⑤奥様からの引退時の手紙
現在の奥様とは再婚のようですが、馴れ初めやエピソードなどの情報は見つかりませんでした。
神山雄一郎さんの現役引退会見時に紹介された奥様からの手紙がこちらです。
「お父さん、選手生活大変お疲れ様でした。クビになるまで競走をしていたいと言っていたので、引退は大きな決断だったと思います。
成績が悪くても愚痴一つなく、家族に全く心配をかけることはありませんでした。
子供たちはお父さんの競輪に対する姿勢を見てきましたので、今取り組んでいるスポーツの種類は違いますが、お父さんを追いかけているような気がします。
今年の夏頃、今回の話を聞きました。昨日まで1レース、1レース噛みしめるものがあったと思います。
次の人生も輝いてもらいたいと思います。これからも家族3人サポートしていきます。まずはゆっくり休んでください。お疲れ様でした」 引用:netkeirin
奥様の「家族でこれからもサポートを続ける」という言葉から、神山雄一郎さんは引退後も愛され、尊敬されていることがわかりますね。
また、前項でお子様の情報は見つからなかったと説明しました。
ですが、この文章からは奥様以外に2人のご家族が一緒にサポートしていることがわかります。
もしかすると、お子様が2人いるのかもしれませんね!
まとめ
・幼少期のころ、実家は自転車店を営んでいた
・父親は熱心なサイクリング愛好家
・従兄弟2人も競輪選手
・幼い頃からとても活発で、体育の時間が何よりも楽しみだった
・様々なスポーツをしていたが父からの「一つに絞れ」のアドバイスで競輪選手の道へ
・神山拓弥さんは父方の従兄弟で弟子にあたる
・母方の従兄弟である大橋徹さんとは年が近いこともあり幼少期から仲が良い
今回は、神山雄一郎さんのご家族についてまとめました。
幼少期からの活発な性格や、父親のアドバイスが神山さんの人生に大きな影響を与えたことが印象的でしたね。
今後は、競輪選手養成所の所長としてのご活躍を応援しています!